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荒木 浩一郎 Koichiro Araki

1974年長崎県生まれ、千葉県松戸市育ち。洋菓子店を営む父親が病気になったことをきっかけに店を継ぐことを決め、東京製菓学校に入学。卒業後、吉祥寺の「エスプリ・ドゥ・パリ」で5年間、東大和市の「ル・メナジェ」にて2年間修業を積む。さらに、ルクセンブルグに渡った後、フランスの小さな町・モントリシャーで、日本の「人間国宝」に相当するといわれる「MOF」ショコラの称号を持つシェフの元で働く。帰国後、大塚の「コート・ドール」のシェフとなるが、厳しい指導によってスタッフが全員辞めてしまった経験をきっかけに、このままではいけないと一念発起。すべてをリセットするため、老舗乳製品メーカー「中沢乳業」に就職する。そこで自分に、商品開発や店舗づくりのアドバイスといったコンサルティングの適性を見つけ、コンサルタントの活動を経て、現在オーナーシェフを務める「スイーツワンダーランド アラキ」をオープン。人材を育成しながら“人と人をつなげるお菓子”を作り続けている。
荒木 浩一郎 Koichiro Araki
過酷な修業時代を支えたのは同期の存在
過酷な修業時代を支えたのは同期の存在

僕の原点は、やっぱり実家が洋菓子店だったことですね。実は、もともと自分もケーキ屋をやろうとは全く思っていなかったのですが、高校2年生のときに父がガンの末期と診断されて。当時はほかにやりたいこともなかったので、それじゃあ跡を継ぐか、と東京製菓学校に進みました。
専門学校1年生のときに父が他界したため、一人前になった姿を見せることはできなかったのですが、卒業後、吉祥寺の「エスプリ・ドゥ・パリ」で修業をスタート。お店はオープン3年目のどんどん伸びている時期で、某有名ホテルのブライダルギフトや宴会土産など、卸の仕事もかなり多く請け負っていました。ギフトの箱詰めだけでも、一回で300~400個もあるんです。早朝から夕方7時くらいまで卸の仕事をして、それが終わってから、翌日に店頭に並べるお菓子を深夜まで作るという毎日。
そんな厳しい日々でも、幸いなことに同期の仲間に恵まれ、励まし合いながら5年半ほど働きました。自分たちで試行錯誤しながら何でもやらなければなりませんでしたが、その分、やればやるだけ力になると感じていました。とても濃い時間でしたね。同期の彼らとは今でも交流が続いています。
ちなみに、実家の店は同じくパティシエになった弟夫婦が継いでいて、外観はすっかり変わりましたが、今も存続しています。

フランス人間国宝級のシェフのもとで学ぶ
フランス人間国宝級のシェフのもとで学ぶ

「エスプリ・ドゥ・パリ」を辞めた後、東大和市の「ル・メナジェ」にスー・シェフとして勤めることになりました。以前の店では、人も設備もいい材料も全部揃っていて量産するという形でしたが、メナジェではシェフが一人で回していくマンパワー型。約2年間働かせていただき、ノウハウなどをたくさん教わりました。
このころ、同じく東京製菓学校を卒業して都内の洋菓子店で修業していた弟が、お店の援助を受けてヨーロッパのルクセンブルグに渡っていたんです。その縁で、「来れば?」と声をかけてもらう流れになって。慌ててメナジェのシェフに相談したところ、「そんないい話はない。今すぐに行きなさい」と言ってくれた。そうして、そこからパスポートを取って一カ月もしないうちにルクセンブルグに飛ぶことになりました。
当時は若かったんですね、お金もない、語学力もゼロの状態で飛び込んだので、本当に厳しいスタートでした。入れ違いのタイミングでほかの店に移っていた弟には頼れませんでしたし。でもまあ、何とかなるもの。そう思っていたのは私だけかもしれませんが。
ルクセンブルグで半年働いたあと、フランスのモントリシャーという小さな町の、「M.O.F」ショコラの称号を持つシェフのもとに移りました。「M.O.F」とは、日本の「人間国宝」に相当するといわれる称号です。このシェフがまた、色々な面で飛び抜けている個性的な人でしたが、職人としてはやはり超一流。本当に大きな学びを得ました。
そして、ヨーロッパで感じたのが、価値観の違いと文化の深さ。パティシエというものは“職人”ではなく“職業”であり、労働時間や休みなどのシステムもきちんと確立されている。そして何より頭をガツンとやられたのは、家族に対する価値観です。仕事と家族だったら、もう圧倒的に家族が優先。私も将来はこういう家庭を作ろうと強く思わされました。

すべてをリセットし、食品メーカーの社員に
すべてをリセットし、食品メーカーの社員に

1年間、海外で様々な物事を吸収した後に日本に戻り、今はなき大塚の「コート・ドール」のシェフに就任することになりました。29歳のときです。この世界に入った当初から、「30歳までにシェフになるか自分の店を出せなければ、この仕事は向いていないということだ」という考えがあったので、シェフになれたということは私にとって意味がありました。
でも、ここで人生の大きな転機があったんです。私自身、かなり体育会系の環境で厳しい指導のもと修業してきたこともあり、「ついてこれないヤツは辞めちまえ」といったスタンスでいたら、本当に数人いたスタッフ全員が辞めてしまった。それも2回も。それで、「あ、これじゃダメだな」と気づいて。このままお菓子作りを続けているだけでは、同じことの繰り返しになる、と感じました。
そのころ、ちょうど結婚して子どもが生まれるというタイミングだったこともあり、ここで一回、すべてリセットしようと。今までのものを全部捨てようと思いました。
色々な人に相談する中で、老舗の乳製品メーカー「中沢乳業」に就職することに。会社は新橋にあったので、新橋のサラリーマンに転身です。
ここでは商品開発を担当し、自社が手掛ける生クリームを使って何ができるか、講習会を行ったり、企業や店舗にアドバイスするといった仕事を担当しました。日本各地に飛び、常に新しいものを開発して提案し続ける日々。でも、やってみてわかったことなのですが、この仕事が私には実に向いていた。社内からも「そんなに無理しなくても」と言われるほどだったのですが、苦に思うどころか楽しくて仕方がなかったんですね。
同時に、会社員として働くことで、社内外のたくさんの人々の力があって仕事というものが成立しているんだと改めて気づくことができました。色々なものの価値観が変わりましたね。

たどり着いたのは、“人と人をつなぐお菓子”
たどり着いたのは、“人と人をつなぐお菓子”

中沢乳業に5年勤めた後、国内と海外でのコンサルタントの活動期間を経て、ついに「スイーツワンダーランド アラキ」をオープン。現在、オープン2年目になります。
店のコンセプトは、「幸せの風を届ける」。人を幸せにする最高のツールであるお菓子を、単なる自己満足ではなくて、誰かに買ってあげる、誰かと一緒に食べるといった“人とつながる”ツールとして利用してもらいたいという想いがあり、当店ではギフトと記念日のケーキが主流となっています。

ガチャガチャ

店舗やお菓子、ギフトのパッケージのデザインは、どれもカラフル。これらには、以前より学んでいるカラーセラピーの知識を活かしています。扉を開けて入った瞬間にハッピーな気分になっていただけるような、そんな店でありたいですね。
スタンダードなケーキはもちろんのこと、今は「日本一美味しいショートケーキ」作りなどにもチャレンジしています。やはり中沢乳業での経験から乳製品には力を入れていて、ありがたいことに「ここの生クリームだけは食べられる」というファンの方もいらっしゃるので、これを極めていきたいなと。

スイーツワンダーランド アラキ

さらに今後の展望としては、東洋医学の考え方で“体を温める素材を使ったスイーツ”など、「お菓子は体に悪い」といった観念を覆す「健康的なスイーツ」の開発・販売を開始しているので、これをさらに展開していきたいですね。
私個人としては、得意とする“商品開発”のコンサルも続けていくつもりです。技術的なことよりも、その企業やパティシエの個性や強みというものを引き出して、その人だけのお菓子、店づくりをお手伝いできればと思っています。
パティシエという仕事って、世界で最高の仕事の一つですよね。お客様を笑顔にできるものを作り、それを直接売ることができる。ずっと、この素晴らしいお菓子の道を追求していけたら幸せですね。

スイーツワンダーランドアラキ スイーツワンダーランドアラキ

スイーツワンダーランドアラキ

TEL03-6454-9401
住所東京都板橋区蓮根2-29-6 蓮根ビル1F
 都営三田線 西台駅 徒歩 4分・蓮根駅 徒歩 5分
営業時間10:00~19:00
定休日水曜日
URLhttp://sweetsguide.jp/sweetsguide/detail/index/id/42569/

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